ただ、クランやクラン運営についての議論は出尽くしていると思う。
今日はシリウスそのものの後継人事という「逸脱」した話をしたい。
それが逸脱しているのか?
案外、重要なことなのか?
については、各自で考えてもらえばいい。
その前に、俺は仕事で、一時期、高齢の経営者からの相談が増えたことがあった。
いわゆる後継者問題である。
こういった問題に頭を悩ませる会社は必ず好業績である。
俺を含めた貧乏人は節税で悩むことがない。
会社がヤベー状態なら、後継者うんぬんよりも、明日の資金繰りやら、営業強化、経費削減みたいなものに目が向かう。
一方、後継人事について悩む経営者は、そろそろ自分の「手仕舞い」「引退」を考えるにあたり、以下のような要素で立ち尽くす。
・子供がいない。
・二世がこいぼけのようだ。
・片腕の専務が死神ゼロに少し似ている。
とはいえ、共通して言えるのは、バイタリティあふれ、清濁併せのみ、逞しく営業してきて社内のことを掌握している今の社長を超える人材は居ないということ。
少なくとも、その会社においては、社長の延長で選ぼうとしたら、絶対に無理だ。
ビートたけしの弟子が、ビートたけしの物マネをいくらうまくやったところで、絶対にたけしを超えることはないように。
ここ2000年ほどの世界を眺めて、秀逸な後継人事といえば、カエサルによる初代皇帝の「制作」を挙げる人は多い。
カエサルはスケールの大きさと戦闘、そして人心掌握においては傑出していた。
しかし、カエサルのままではローマにおける皇帝制度がなしえていたかといえば、疑問だ。
アウグストゥスとカエサルは得意分野は重ならない。
必要な能力は時勢に応じて変わる。
当たり前の話だ。
さて、ここでリネの話に戻そう。
クランは人が作る。
では、シリウスは誰が作るか?
サーバであるから、ぶっちゃけ、NJCのエンジニアがサーバにOSインストールして、ソフトを入れて、SQLをイジって、接続を解放して出来上がり、なわけだ。
ただ、プレイヤーからすれば、シリウスを作った「人間」に干渉することは出来ない。
見方を変えれば、リネをしている限り、シリウスを作ったのは、全知全能の神ともいえる。
ちなみに、俺はリアリストであるから、神をいるとも、いないとも言わない。
分からないのだ、ほんとに。
読み物として聖書を読む時、俺は「神」という言葉を「潜在意識」と置き換えて読んでいる。
これについては、色々な反論はあろうかと思う。
なかなかデリケートな話題ではある。
たとえばゲーデルの不完全性定理の証明によって明らかになったのは「完全無欠な全知全能の神」がいないというだけだ。
神の定義は様々だと思っている。
俺は空手の稽古の始めと終わり、組手の前と3回ほど、多神教の象徴であるところの神棚に十字を切る。
結婚式は教会の神父にやってもらった。
父親が死んだ時は仏式だ。
ちなみに親父の葬儀を戌神に頼んだら、戌神は不気味な話をするわ、俺は不真面目なペラを回すわで、参列者にドン引きされたというパプニングはあったが。
いずれにしろ、俺の宗教観とうのはこの程度のものである。
無理矢理にスタンスを決めるとするならば、神がいる、いないの議論はさておき、一神教というのは、なかなかエグイ宗教であると思っている。多神教のいい加減さの方が、俺は馴染む。
さて、シリウスに神がいたして、その神はどんな神なのだろうか?
サーバを作ったのが神という視点もあるが、世界観を作った「全てのプレイヤーの総意」も、それはそれで神と言えるのではなかろうか。
サーバを作った神が全知全能のゼウスであるなら、シリウスの空気を作ったのをイエスとして考えてみよう、というのが今日のblogのテーマである。
そして、「シリウスのイエス」の後継人事について、考察をしたいのだ。
イエスキリスト。
前述したとおり、一神教はあまり好きではない。
ただ、イエスという人物は面白い。
エッヂの効いた人物である。
この男が、後継者に選んだのは、不思議な人物だった。
古い弟子であるペテロだ。
とはいえ、最古参というわけでもなく、手柄(?)が多かった人物でもない。
特に弁が立つわけでもなく、他の弟子に比べて秀でていたわけではない。
忠誠心はどうだろうか?
ペテロはイエスが捕まった時にイエスの仲間扱いをされた時に、何度も「いえいえ、全然、関係ないから! キリストとか、まじ知らないっすから!」と言っては「俺、また、やっちまった」と懺悔を繰り返す男だった。
いる、こういう奴、いるいる。
しかし、イエスはこの年上の無骨で要領の悪い男に「全世界に行って布教しろ」と伝え、後継者として指名する。
ペテロがイエスを深く敬愛していたのだけは、確かだ。
2000年が経過して、ペテロはイエスキリストの宣伝に成功したか?
信者を増やすことが出来たか?
結果は?
ここで書くまでもないだろう。
ペテロは漁師だった。
もしも、イエスに指名をされていなければ、ガリラヤ湖に帰って、魚を取って暮らしていただろう。
しかし、イエスは漁師ペテロをガリラヤ湖には帰さなかった。
さて、前置きが長すぎたが、ここからが今日のblogの本番である。
マフーの父親はハイネで漁師をやっていた。
船頭の立場で、村人たちをまとめてもいた。
これはシリウスでは有名な話だが、マフーが5歳の時に、マフーの親父は仲間の漁師を助けるために、自分が犠牲になって命を落とす。
幼いマフーはその父の誇りを胸に、幼少期をハイネの森を駆け回り、すくすくと成長した。
しばらく漁師としての生活をしていたマフーであったが、婚約者のケセランパセランをNSに殺された。
彼は漁師をやめて戦士となって、戦い続けている。
ただ、魂はまだ、漁師のままだ。
イエスは後継を漁師ペテロに託した。
シリウスはマフーをハイネ湖に帰すべきではない、と俺は考えている。
漁戦士マフーが掲げる旗が、いま、風にたなびき始めた。
遠くに雷の音が聴こえた。
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